浜に眠る鳥取藩士 寄宿縁で慰霊継承 – 福島民報



 いわき市の北隣に位置する広野町も戦いの場になった。戦端は一八六八(慶応四)年七月に開かれた。東軍(旧幕府軍)が広野宿に置いた拠点を巡る攻防だった。
 東軍側の相馬中村藩と仙台藩、磐城平藩、西軍(新政府軍)勢の広島藩と鳥取(因州)藩などが今の二ツ沼総合公園周辺で激突。五日間に及ぶ戦いの末、西軍勢は広野宿を攻略した。
 いわき市久之浜町の外れにある龍光寺境内に鳥取藩士、近藤類蔵(るいぞう)が眠る。
 「歴史が紡いだ不思議な縁を大切にしていきたい」。近くに住む木村芳秀さん(81)は墓碑を前に感慨深げに語る。
 木村家は代々続く名家で、近藤の墓を守り継いでいる。今年も月遅れの盆の入りに当たる十三日に親族と連れだって線香を手向けた。
 墓碑には「因州砲隊長近藤類蔵孝敏墓」と刻まれ、墓が建てられた経緯が側面に記されている。鳥取藩が供養料を出し、奥羽追討参謀だった河田左久馬が建立したとある。
 遺体が龍光寺に葬られた詳しい経緯を知る人は既にいない。だが、木村さんは木村家が墓参を続けるようになったきっかけを伝え聞いている。

◆不思議な縁 

 鳥取藩は広野の戦いに備え、久之浜町で大須賀家という地元の旧家が営んでいた亀田屋に陣を張り、寄宿した。近藤は西軍勢の進撃を食い止めようとする東軍との激しい戦いで負傷し、亀田屋に運び込まれたが、三十七歳で亡くなった。当初は大須賀家が慰霊し、縁戚関係にあった木村家が引き継いだ。
 木村さん方では霊を祭る霊璽(れいじ)と慰霊行事で使った旗を大切に保管している。家屋は東日本大震災の津波で床上まで水に漬かったものの、霊璽と旗は難を逃れた。

◆役目 

 木村さんは戊辰戦争の記憶を次代に伝える活動に力を注いでいる。昨年まで会長を務めていた久之浜・大久地域づくり協議会は戊辰戦争開戦百五十年を記念し、今年秋にも白河、二本松、会津若松各市など県内の戊辰戦争ゆかりの地を研修で訪れる。十一月十八日には市地域防災交流センター「久之浜・大久ふれあい館」で記念講演会の開催を予定している。鳥取市歴史博物館の学芸員伊藤康晴さんが「因州兵の戊辰戦争と久之浜・大久」のテーマで久之浜・大久地区と戊辰戦争との関わりを語る。
 「この地が戊辰戦争に関わっていたと知る人は少なくなった。地域の歴史を理解すれば郷土愛を深められる。記憶を継いでいく役目をしっかりと果たしたい」。節目の年に思いを一層強くしている。

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近藤の霊璽(手前)と慰霊祭で使われた旗を前に戊辰戦争への思いを示す木村さん
近藤の霊璽(手前)と慰霊祭で使われた旗を前に戊辰戦争への思いを示す木村さん



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